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「なんだ、瀕死の重傷だって聞いたのに、ぴんぴんしてるじゃないか、ナイーフ」
「ソリマチ、どうやってここへ…!?」
「おまえら以外はホテルから出られるはずはない、ってか?」
タナ・アブン総合病院の外来フロアでは、医師や看護師が緊張した面持ちで行き交って
いた。爆破事件による負傷者が何人も運び込まれているのだ。緊急手術も立て続けに行な
われている。幸いこの病院では生命に危険のあるような患者はいなかったが、なにしろ運
ばれて来るのが内外の政財界の名士ばかりなのだ。緊張するなと言うほうが無理である。
そのあわただしい空気の中、廊下の一角で睨み合う二人の男がいた。
「被害者として抜け出すとはいいアイデアだったな。俺も真似させてもらったぜ。俺は付
き添いだけどな」
「お元気そうでよかったです。もし本当に意識不明などだったら、お話が聞けませんし
ね」
付き添われてきた患者のほうも、その隣に立って笑顔を見せている。ナイーフ氏はむっ
としたように黙り込んだ。
「あなたは僕のことをご存じでしたね。と言うより『ミサキ』の顔をね。もともと知って
らしたのか、それともジャカルタ警察に出された捜索願をご覧になったってことですか」
ナイーフ氏は眉を動かした。
「警察にまで手を回して『ミサキ』を奪おうとした。それは何のためです」
「答える必要はないな」
「じゃあ、僕が話しましょう。『双つ身の天使』を動かすためです」
「――おい!」
無表情を装っていたナイーフ氏はそこでぎょっと顔を上げた。
「あなたは今度の会議でイニシアティヴをとるため、という名目でB国大使にある提案を
しましたね。マダム・ブルーの後ろ盾を得る条件として『双つ身の天使』を持ち込んだ。
それを『ミサキ』に委ねるよう命じられたんです。指示通りに脅迫状を出して、ついには
誘拐まで。――でも、もう一つ教えてあげましょう。『ミサキ』は最初からジャカルタに
はいなかった。そしてマダム・ブルーはそのことも知っていたんですよ」
「デタラメだ!」
ナイーフ氏は両手を振り上げた。
「そんな話はどこにもない。何がマダム・ブルーだ!」
「そのわりに顔が青いぞ、ナイーフ」
反町氏は愉快そうに相手を観察していた。
「ホテルで俺は現場検証の話をちょいと手に入れてね。あの爆発は『見せ』だったらしい
って言うんだ。つまり、爆発の規模が大きい割に爆薬は少なくしてあった。殺傷能力はそ
れほどじゃない、って鑑識は見てる。じゃあ、何のためだ」
「お父さん――」
三杉はちょっと咎めるように反町氏を振り返った。いつのまにそこまで情報収集してい
たのか。
「あんたたちはたいした被害もないのに病院に逃げ込んだ。そう、逃げたんだ。さっきの
はまだ予告編、本番はこれからってことだろ。しかもあんたたちは被害者だから疑われな
い。な?」
「……」
ナイーフ氏は無言だった。反町氏を睨み、そして再び三杉に向き直る。
「ミサキでないなら――君は誰なんだ」
「どう言いましょうか。名前はこの場合問題じゃないですしね。僕は『ミサキ』の身内で
す。そしてあなたがたが間違って誘拐してしまったのは、この反町氏の息子ですよ」
「ソリマチの息子、だと? じゃあ、王家のピアスをしていたという話は――まさか、ラ
ウラの…!」
「あなたの部下はマダム・ブルーの策略に乗せられて間違った『ミサキ』を捕らえた。で
も、別の意味で当たりだったとも言えますね」
三杉はちらりと反町氏に視線を投げた。
「岬くんはマダム・ブルーの元にいます。最初から彼女はすべてを握っていたんです。あ
なたを陥れ、B国を利用して。でもただ一つ彼女が見失っていたもの、それが一樹だった
んですよ」
「どういうことだ?」
反町氏が日本語でつぶやいた。
「今日のお二人のお話で謎だった部分が繋がりましたよ。ラウラ王女はすべてを失って故
国を去った。そして形を変えて戻って来たんです。マダム・ブルーの代表者、いえ、マダ
ム・ブルーその人としてね」
「ラウラが…! 嘘だ!」
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