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「まったく、馬鹿にしてる……!」
歩きながら若島津は憤然とつぶやいた。南葛川を渡って商店街に入り、ずんずん進む。
私鉄駅周辺の地区は比較的新しい店が多いが、このあたりは宿場町の面影を残した昔なが
らの店が連なっている。ちなみに森崎の家の「そば処フランボワーズ」もその一軒というこ
とになる。
「どこをどうねじ曲げればそういう話になるんだ」
常識が異次元化しているのが南葛の流儀だとは思っていたが、コトが自分のプライバシー
にまで及ぶとなると黙っているわけにはいかない。断固抗議すべく、元修哲メンバーを探し
にやって来た若島津だった。
「第一、俺がしづ姉となんか似ててたまるか。揃いも揃ってどこに目をつけてるんだ」
外見は無表情でも、腹の中は大魔神である。怒りにかまけて周囲の視線に全く気づかずに
いた彼は、目の前がいきなり花束でさえぎられて、思わず急停止した。
「はい、これ、お祝い。早咲きの菖蒲だよ」
「……え?」
見れば確かにそこは花屋の店先。ビニール張りエプロンをつけた中年のおじさんがにこに
ことうなづいている。
意味がわからず問い返そうとしたその脇からとんとんと背を叩かれ、振り向くとまた知ら
ないおばあさんが立っていた。
「お茶、持って行きなさいな。もうすぐ新茶が出たら、また届けるからね」
押し付けられた包みを手にぽかんとしている間に、おばあさんは向かいのお茶屋さんに戻
って行ってしまった。よく見るとどうもあたりじゅうから自分に暖かい目が注がれている。
若島津はそこでようやく誤解の元に気がついた。
「あの、俺、違います…! 森崎と結婚したのは――」
「そら、焼きたてだぜ! 有ちゃんに食わせてやんな。スタミナは保証するからよ!」
今度は鰻屋の兄さんである。豪快に笑いながら店に入ってしまう。反論する余地さえ与え
ず、あっちからこっちから声が掛かるのだ。
「ね、まだ若いんだから、思い詰めないでね。あたしたち、味方だからね」
「そうよ。有ちゃんいい子だから、きっと大丈夫」
意表を突いた波状攻撃に手も足も出ない若島津である。これが試合だったら大量失点もの
だ。おそるべし、南葛!
「待ってよ、若島津! ――あれっ、どうしたの…?」
そこへ走ってきたのは岬だった。両手に花束から鰻まで抱えた若島津を見て目を丸くす
る。
「――ご祝儀だ。森崎に届けてやる!」
「あ、そ、そうだ、森崎くんが…。すぐ戻って来て!」
しかし岬は若島津の不機嫌ぶりに気づく余裕もないくらいに急きこんで、その腕を引っ張
った。
「何なんだ…」
「さっき、君が出てった後、森崎くんが目を覚まして――それが、何か言ってるんだけど、
様子が変なんだよ」
岬が言っていることもさっぱり要領を得なかったが、若島津には十分だった。眉を曇ら
せ、岬の家の方向をぱっと振り返る。そして持っていた物をドサリと岬の手に押し付ける
と、何も言わずに走って行ってしまった。
岬は荷物に苦労しながらその後を追ってアパートの前まで戻って来たが、そこでぎくっと
立ちすくんだ。予想もしなかった人物が、彼を待っていたのだ。
「やあ、岬くん」
「三杉くん! ど、どうして…?」
驚く岬を見つめながら三杉は少し首をかしげるようにした。
「さっき、若島津が入って行くのが見えたよ。やっぱり君がかくまっていたんだね。昨夜の
電話の様子でそうじゃないかとは思ったんだが…」
気まずそうに口をつぐむ岬に、三杉は軽く微笑んでみせた。
「君は自分の父親が有名人だということを忘れているよ。今、個展のために北九州に滞在中
なのはテレビ西日本のニュースでちゃんと流れていたからね」
「東京でそういうニュースを見ないでよ!」
岬くんの抗議もごもっとも。ただ付け加えておくと、全国のローカル局を自宅で直接受信
できる設備をつけたのは彼ではなく、三杉の父である。お互い父親の道楽には迷惑している
と言うか。
「森崎も、当然君のところだね」
「言っとくけど、ボクは立てこもり犯の人質みたいなものだったんだからね。凶悪犯だよ、
あの二人は」
アパートの外階段を上りながら、岬はぶつぶつ言った。
「……おや?」
三杉が下の道路を見下ろす。誰かが岬を呼んでいるのだ。
「おーい、岬ぃ、大変だ!」
「あれっ、高杉くん?」
走って来たのか、高杉が息を切らせて見上げている。
「日向が――あっちで、暴れてる! 井沢たちが食い止めてるけど…」
岬と三杉は顔を見合わせた。どうやら南葛は最終戦争の決戦場になろうとしているらし
い。
「森崎!? おい、なんて言った? しづ姉がなんだって…? おまえ、どこへ行ってたんだ
…?」
そして家の中では、ねぼけ半分の森崎を前に若島津が困り果てていた。
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