◆
「ヘフナー、何があったんだ!? ――う!」
楽屋に駆けつけて来た若林とジノは、ドアを開けた瞬間、立ちすくんでしまった。なんと
そこにはヘフナーが二人分いたのである。
「なっ、何をしてるんですか、ギュンター!」
「――ああ、ジノか」
妻の弟をギュンターは床の上から見上げた。
「いや、面白いんでな。ほら、麻酔銃で撃たれた猛獣みたいだろう」
「………」
言葉が出ない。ぐったりと意識のないヘフナーを、両膝の上に抱えているその姿だけで十
分凶悪なのに。
「――ほんとに、麻酔なんですか?」
「らしいぞ。きっと暴れて手に負えなかったんだろう」
お父さん、どっちに同情してるんですか。
「で、若島津の姉さんは? 連れてかれたんなら…」
「ああ、だが今、ゴーたちが追跡してる――」
やっと気を取り直した若林である。ギュンターが、答えかけて言葉を切った。抱えたヘフ
ナーがぴく、と動いたのだ。
「ヘフナー?」
ジノがこわごわ覗き込んだ。若林のほうはとばっちりを避ける気なのか、腕を組んだまま
一歩下がる。
「……グスタフ」
眉を寄せ、目を開く。そして次の瞬間、ヘフナーは2メートルは離れた場所に立ってい
た。大きななりをしていて、どういう瞬発力をしているのだろうか。
「あ――あ、あ、あんたはなっ…!!」
「なんだ、もう気がついたのか。つまらんな」
ヘフナーは大きく深呼吸した。さすがにまだ気分が悪いのか――あれだけ急激な目覚め方
をしたのだから当然だ――ちょっと顔をしかめる。
「なんでこんなとこに湧いて出た」
「うむ――野次馬だ」
ギュンターもゆっくり立ち上がる。
「寝顔があんまりあどけなくて、つい見とれていたんだ」
やめろとゆーに!――と叫ぶかわりに、ヘフナーはくるりと向きを変えて部屋を出て行こ
うとした。
「まあまあまあまあ、そうムキにならないで…」
身内として多少は責任を感じているのか、それとも単に面白がっているだけなのか、ジノ
がその肩を押し戻す。
「それより詳しく教えてくれないか。彼女、いったい何があったんだ」
「――新しい共同研究者だって、やつらにバレちまったんだ。黙ってりゃ引っぱって行かれ
ることもないないってのに」
3人は話しながら足早に楽屋口へと向かう。ギュンターもその後を無表情について来てい
た。
「剛さんが今、教授の車で追っかけてるそうだ」
「え、ノモリ教授、無事なのか!?」
行方不明のはずの教授がここに現われたと知り、ヘフナーは教授がバリトン歌手の婚約者
だということを話した。若林がひゅっと口笛を吹く。
「まあ、あっちでもこっちでもめでたい話続きだな」
「俺はもう勘弁してくれ。あの嫁さん、手に負えん」
階段を駆け上がると、もうそこは屋外である。舞台装置を出し入れするだけの間口の広さ
と高さがある。
「あんな美人とずっと一緒で、役得だったじゃないか」
ヘフナーはじろりとジノを睨み返した。
「俺は森崎の心配をしてるんだ。あいつ、人が良すぎるからな。あれじゃ苦労するぞ」
「いや、あいつなら大丈夫だろう」
「え?」
思わぬところから保証されて3人のGKは驚く。
「幸運の鍵を握っていることに自分で気づいてないところがあいつの強みだ」
「ギュンター?」
あっけにとられる3人は追い越して、ギュンターは一人先に外に出た。小雨はまだ降り続
いている。
「そうか。モリサキ、という名か、あいつは」
手をかざして広場の向こうを眺める。しづさんが乗せられて行った方向だ。
「ギュンターさん!」
若林が顔色を変えてその肩をつかまえた。
「じゃ、あの時の気配はやっぱり森崎だったんだ。あなたは森崎と一緒にいたんですね!」
「……ん?」
ギュンターは興味なさそうに振り向いた。若林の顔を眺め、また向こうに戻す。
「今もいるぞ。シヅの車を追っかけて行ったからな」
「なん、ですって…?」
3人が呆然と目を合わせた時、そこにヘッドライトが近づいて来た。剛が窓から手を振っ
ているのが見える。
「若林くん、大変だよ! しづ姉が…!」
停車したワゴン車の中には3人の男が押し込んであった。この先の路上で転がっていたと
ころを回収してきたのだという。
「姉ちゃん、麻酔を打たれてるって…!」
「なんだって…!?」
絶句する。
「――どう、すりゃいい…?」
それが、大問題なのだった。
|