◆
「うわ…!」
飛び起きた若島津は一瞬自分がどこにいるのか混乱した。
カーテンのかかった窓。そして畳の部屋。そこらにしみついているような絵の具の油っぽ
い匂い。
「ああ、帰って来たのか…」
頭が多少重い感じはしたが、普通の寝覚めとあまり変わりはないようだ。若島津はゆっく
りと体を起こして横を見た。
「森崎…」
ここにいるのが当然のようにすやすや眠っている。本人に自覚がないのだからしかたがな
いにせよ、いつもいつも拍子抜けさせられる若島津である。
台所へ行き、ザバザバと顔を洗った。夢の中にいたのはどれくらいのことだったのだろ
う。流しの曇りガラスの外はまだ十分に明るさがある。
「――妙だな」
若島津は部屋の掛け時計を見上げて首をひねった。日本では夕方、ならばドイツでは同じ
日の朝のはずだ。さっきしづ姉の腕時計を合わせた時もその計算だった。
「なんで、俺たち夜に出ちまったんだ?」
そう言えばその腕時計も見当たらない。若島津は周囲を見回して、玄関のドアが少し開い
ているのに気づいた。
「そうだ、岬はどうしたんだろう」
町で差し入れ責めに合い、それを岬に押し付けてきたことを思い出す。
靴をはいてドアを開けると、なんとその戸口に彼が預けた荷物がそっくり置いてある。岬
は一度戻って来ていたのだ。
若島津は家の中の森崎を振り返ってちょっと迷ったが、そのままにして探しに出ることに
決めた。森崎もどうせまもなく目を覚ますだろう。少なくとも岬には一宿一飯の恩義という
ものがあるわけだし。
「さっきの商店街か、それとも南葛の連中のところかな…」
むろん彼は三杉に見られていたことなど知るはずもない。まして天下の往来でなじみの
面々がひと騒動起こしているなどと想像すらしていなかった。
「四の五の言わねえで、さっさと出しゃいいんだ!」
「だから言ってるだろう、日向。俺たちも知らないんだよ」
井沢にはさすがに一般市民の皆さんへの配慮というものがあったが、血の気の多さと遠慮
のないことにかけては南葛一かもしれない男が横から口を出して井沢の努力を端から破壊し
ているのだった。
「ま、知ってたって教えてやる気はないけどよ!」
「なにぃ!」
日向に凄まれてもまったく動じない石崎である。思えば翼が来る前の南葛小でサッカー部
のキャプテンを張り、全国優勝校修哲小のキャプテン若林に対等の口をきいていた恐ろしい
前科もあった。
「やっぱりおまえらがかくまってやがるな。出せ、出さねえか! 森崎には俺が自分で決着
をつけてやる!」
「で、でも、日向、もし当人たちが真面目に好き合ってるなら俺たちには口出しする権利は
ないんじゃないかって――」
「ば、馬鹿野郎! 何が、真面目に、す、す、す……だとぉ!」
怒りのあまり、口に出すのも許せないらしい。単に純情なだけだったらどうしよう。
「権利もくそもあるか! 森崎を出せ! 話はそれからだ!」
「う…く……く、苦しい――放してくれ!」
襟首を絞め上げられた井沢を助けようと仲間がどっと詰め寄る。どうしてこう理性的に話
し合いができない体質の者ばかりなのだろう。
「あーっ、日向にボールが渡ったぞ、ブロックしろ!」
「誰だぁ、ボールなんか持ち込んだのは…?」
まったくである。
「やめてよ、小次郎! みんなもやめるんだ!」
駆けつけて来た岬を、全員が一斉に振り返った。が、次の瞬間また乱闘に逆戻りする。そ
の中からボロボロになりながら日向が抜け出して来た。
「――岬、わかったぞ、かくまってるのはおまえだな!」
ギラリと野性の目が光る。確かに並のカンではない。
「どこだ、おまえの家か。……よし!」
「小次郎、駄目だってば! 待ってよ、キミの誤解なんだ!」
岬の言葉など聞く耳持たず、日向は南葛川の方角へ爆走して行く。だからなんでドリブル
してるんですか…。
|