ザ・プロミスト・ランド










 レコーディングは既に4日前から始まっていた。本録音も、部分録りながら 少しずつ取りかかっている。オーバー・ダビングによる録音だから、メンバー 全員が揃っていなくても支障はない。
 今はメンバー各自が持ち寄った作品をリハーサルスタジオで試しながら、編 曲を含めた曲の感性を目指している段階だった。
「剛と勢至がいないのは実際困るんだ」
 剛'S クルーの頃からほとんどの曲の作曲をしていたギタリストの遠野一高 は、しかし本当に困った顔をしてみせる。
「特にリズムはさ、コンピュータを使っても――あ、打ち込みとかサンプリン グって言うんだけど――いいようなもんなんだけど、リズムは人間の生きたリ ズムに馴染んでるほど代わりがきかないんだ。まあ、勢至は近いうちに合流で きるはずだけど」
「アレンジのこともある」
 ディレクターの加西も口をはさんだ。
「メロディラインはギターが作るが、ボーカル物である以上はその両方が乗ら ないことにはバランスが測れない。いわゆるマイナス・ワンの状態だ。そうな るとアレンジも全然違ってくるからねえ。…わかるかい?」
「まあ、半分くらいは」
 若島津は正直に答えた。
「で、話を戻して悪いんですが、そもそもあんたたちは何をやろうとしてるん ですか、今になって集まって」
「ああ」
 本当に話が戻ってしまったことに苦笑しながら、それでも遠野はうなづい た。
「俺たちはね、今やっとできるようになったことをやりたいんだ。あの頃には できなかったことが今ならできる。それを自分たちに証明したいんだよ」
 不本意ながら演じなければならなかった人気グループとしての「剛'S クル ー」。そしてその音楽。プロとしての活動の場を得、それを広く評価される状 況を得たことは、ただの大学のサークルだった彼らには正直なところ予想外の 幸運ではあったが、しかしミュージシャンとしての葛藤はそれを上回った。
 では、どうありたかったのか。方向違いの期待にさらされ、スケジュールに 追われする中では彼ら自身も見失いがちだった本来の道。
「それが客観的に見極められるくらいには年月が経ったってことさ」
 遠野は愉快そうに言って、隣のディレクターをみやった。
「幸い、そういうのを面白がってくれるレコード会社もあったしね」
「1回限りのユニットだからこそできる作品を、というのが会社側の最低限の 妥協点だな。会社は剛'S クルーの名にはこだわらない。ま、版権があるから使 いたくても使えやしないけどね。このアルバムを出して、その結果がどうなっ てもこのユニットを持続させることは不可能だ。なら、今この時点でできるこ とってのを思い切りやってもらうだけだな。会社としてはそれで元がとれれば めでたい、と。そんなとこだと思うよ」
「かーっ、シビアだな、加西さん!」
 と言いつつ顔は嬉しそうにほころばせて、遠野は若島津を振り返った。
「なあ、健くん。これは再出発の号砲になるんだ、俺たち全員、それぞれの ね。だから今どうしても剛が必要なんだよ。剛にとってもそうに違いない、な んて決め付けられないけど、きっかけ自体があいつの帰国な以上、このタイミ ングだけは外せない。だから君はここにいて、剛をおびき寄せてくれ。な、頼 むよ」
「エサとしては何をすればいいんです。座って待ってるだけじゃ出て来ないで しょう」
「そう、それそれ。とりあえず俺たちと一緒に取材を受けてくれるかな。さっ きから来てるんだ、音楽誌の記者が。俺たちが呼んだんだけどね」
 遠野のお気楽な調子に、若島津は疑わしげな目を向けた。
「俺も何か答えるんですか? 何て言やいいんです」
 なにしろ取材というものがとにかく億劫でしかたのない若島津である。試合 の後のインタビューがどうしても好きになれず、ついつい無愛想な受け答えに なって、まるで大相撲だ…などと評されたことさえある。
 しかし、嫌だとか面倒だとか主張している暇はないようだった。
「ああ、こっちです、宝ヶ原さん!」
「いたいた。加西さんもここだったのか。ディレクターまでいないんじゃ取材 にならないとこでしたよー」
 そんな若島津の思惑は後回しのまま、先に記者のほうが現われてしまった。
「元剛'S クルーが密かに大集合とはね。ウチだけこんなおいしいトコいただい ていいのかな、遠野くん」
「同窓のよしみですよ、先輩」
 利用できるものはコネだろうと学閥だろうと何でも利用する…という点では 同じ穴のムジナ。2人はにっこりと笑顔を交わした。
「なんでもフヒトくんも来るそうだね。このレコーディングのためだけに?」 「そうです。すごいでしょ」
「なら剛くんは? 帰国したのも知らなかったよ。ドイツあたりで活動してる らしいって噂はあったけど確証がなくてさ。こっちの話も聞きたいね」
「剛と勢至はまだこれから合流です。その代わりと言っちゃなんですが、こち ら、ゲスト参加の彼を紹介しますよ」
「ん?」
 遠野の口上を聞いて、記者は初めて隣の男に注意を向けた。さっきから室内 の備品のごとく無愛想に立っていたせいか、存在感ゼロだったらしい。
「若島津健くん。剛の弟のね。知ってるでしょ?」
「えっ!」
 雑誌記者は大仰に身をのけぞらせた。目が真ん丸になっている。
「――あの、解散の原因とかずいぶん言われた、あの…?」
「そんなこと、言われてたんですか?」
 と、そんな記者のリアクションは無視して若島津は遠野に迫った。静かな迫 力がみなぎる。
「はは、あの頃は芸能マスコミも殺気立ってたからねえ。憶測記事ばかり多く て、そんなのも混じってたかもしれないな」
 解散宣言の少し前にマスコミを沸騰させた剛とその弟の許されぬ恋!…とい う話題は、剛自身の無責任なフォローによってけっこう長くくすぶっていたの は事実であるが、若島津がその話題に対してどういう感情を持っているかはつ いさっき裄広と加賀美が身をもって体験してくれたばかりなので遠野も慎重に 言葉を選ぶ。
「その弟くんが、今度のレコーディングに参加だって!?」
「なかなかできないですよ、こういうの」
 遠野は得意そうに笑う。若島津はそんな遠野を横目で見ながら、やはり兄の 友人というのはこういうのばかりなのか…と嘆息していた。
「でも、確か君ってサッカーの選手じゃなかったっけ? えーと、ジュニアの 日本代表にもいたんだよね?」
「ユース」
 若島津は最小の単語で訂正する。サッカーがメジャーになるまでにはまだも う少しかかるようだ。
「彼のほうには彼のほうでいろいろ事情があってね。まあ、このへんは宝ヶ原 さんの畑とは違うから詳しくは省くけど」
「じゃ、じゃあ、剛くんと同じ道に…!」
 気を持たせる遠野の言葉に、記者はまんまと一人合点したようだった。
「えーと、君。健くんだっけ? どう、今回こういうことになって?」
「何から何まで知らないことばかりで、遠野さんや皆さんにいろいろ教えても らってるところです」
「ほ、ほぉ〜」
 先入観にどっぷりのまま聞くと、若島津の何でもない言葉もそれっぽく聞こ えるらしい。記者はしかしあまりに根暗い空気に押されてそれ以上は突っ込み 切れずにいた。遠野がすかさず横から口をはさむ。
「歌入れはまだ少し先ですけどね。今リハーサルやってんですよ。その歌のこ と、聞きたいでしょ」
 どんなリハーサルだか…という顔の若島津をよそに、遠野はさらにホラ交じ りの誘導質問ならぬ誘導回答を続ける。
「あと2、3日のうちにメンバーもみんな揃うはずなんで、その時また来てみ てください。もちろん宝ヶ原さんトコだけですから」
「そ、そうかい? じゃあ楽しみにしてるよ、遠野くん」
「こちらこそ、よろしくー」
 記者がわかったようなわからないような顔で引き上げた後、若島津はげんな りとした様子で遠野を見やった。
「よくあそこまで嘘を並べられるもんですね」
「なに、あれくらいでちょうどいいんだよ。剛はこういう花火に弱いんだ。話 はすぐに広がるから、あいつの耳にもすぐ届くさ」
 遠野はあくまで上機嫌である。
「バカな話ほど信憑性がある、ってね」
 そういう業界とはやはりあまり関わりたくないと、若島津はつくづく思うの であった。








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