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「そんなバカな話があるか!!」
思いっきりの大声が飛ぶ。覚悟していたとは言え、反町は今すぐ壁に張り付
いて消えたい気分だった。もっともこれは最近反町がはまっている新作RPG
の忍者の技をイメージしてのことだったが。
「あいつが目の前で誘拐されて、はいそうですかで済むってのか!」
「でもっ、日向さ〜ん」
無駄とは知りつつ甘えてみる。そして案の定、日向の怒りは倍増して返って
きた。
「おまえら、何のためにサッカーやってんだ!」
少なくとも、誘拐犯をやっつけるためではないと思うが。
「――俺は、あの若島津がこれといった抵抗もせずに連れて行かれた、っての
が引っ掛かるんですが」
「うん、そう、島野、そうだよねっ!」
島野は助け舟を出すつもりではなかったようだが、溺れる寸前の反町はここ
ぞとばかりにすがりついた。
「俺もそう思ってたとこなんだ。うん」
「車のナンバーはメモしてあります。シルバーのセダンです。警察に届ければ
すぐ割り出せると思いますけど、事情をもう少し調べてからのほうがいいかも
しれませんよ」
火に油を注ぐのが得意な相棒とは正反対に、消化器の泡のようにじわじわと
火を小さくしていくタイプの島野である。日向はメモを受け取りながら、うう
…と低く唸った。殺気立っていた目つきがほんの少し和らいだように見える。
ここは群馬県のとある保養地にあるスポーツ複合施設。東邦大サッカー部の
合宿地の最初の拠点である。ここで同じく合宿している他大学との練習試合を
含めて、4日間の日程が組まれている。
1日早くここに来ていた日向は、後発組が着くと同時に相方の異変を知らさ
れたというわけだった。
「ただ、調べるにしても遠征中ではどうにも困りましたね」
「それはどうにでもする」
日向はきっぱりと即答した。その目にまた危ないものが浮かびかけたのにい
ち早く気づいて、反町は島野の袖を引っ張る。島野はうなづいた。
「日向さん、一人で動くのは待ってくださいよ。俺たちも責任を感じてますか
ら、今回ばかりは協議の上、ということにしてください」
突然の失踪は、中学、いや小学校以来数え切れない日向だけに、島野をはじ
め東邦のメンバーたちも釘を刺すのは忘れない。ただ問題は、若島津のほうに
も失踪の前科があり、こちらは日向のような明確な理由が説明されていないと
いう点であった。
「あいつは、変なとこあるからな、もともと」
しみじみと島野は言う。キーパーの持つ秘密の匂いを、少しなりとも感じ取
っている一人らしい。
「変って言えば…」
反町がふと思いついて後を引き取った。
「今朝、なんか様子が変だったよなあ。ほら、あいつ朝メシに来なかっただ
ろ? 俺、呼びに行ったんだ。そしたらまだ起きてなくてさ、すごくうなされ
てたりしたわけ。起きた後もなんとなく考え込んでたし…」
「悩みでも?」
島野に問われて、反町は声を低めた。
「健康診断、あっただろ、この間。若島津、まさかと思うけど、悩むような結
果が出たかもしれないよ」
「それって、まさか…」
「あいつ、顔に出さないから、俺たちにはわかんないんだよな。何も自分から
言ってくれないしさ」
反町の視線がゆっくりと隣に向かって行った。
「あいつってさ、日向さんがいないと悩まなくてもいいことまで悩み始めるん
だよね、いつも」
「そりゃどういう意味だ、反町」
日向の目つきがまた悪くなる。そこに自分が出てくることが納得できないら
しい。
「ふだんは目の前で悩みそのものが生きて動いてるから、自分自身の悩みなん
かはどっかに紛れてんだ。それがこういう時にぽろっと出てきちゃうんじゃな
いかなー、健ちゃんって」
反町は迫ってくる日向をするりとかわしておいて、島野を振り返った。
「島野の言う通り、誘拐の線はないって思う。考えてもみなよ。あの若島津を
無理に連れ出すなんて絶対無理なんだから。たった2人ぽっちでさ」
「とすると…」
「そう、家出だよ」
反町はもう一度日向に向き直ると、確信を持ってそう断言したのだった。
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