ザ・プロミスト・ランド










 さて、ちょうど同じ頃。
「これ、名刺です。今朝大場勢至さんにもらったんです。入れてもらえないな ら、取り次いでもらえません?」
 スタジオの1階エントランスの受付では、何やら押し問答が続いていた。中 学生くらいの少女と、やたら殺気立った目付きの連れの男は、確かに単なる追 っかけのファンにもスクープ狙いの記者にも見えなかったものの、別の意味で 不安になるような迫力があったのだ。
「弱ったなあ。大場さんはさっき来たばかりだけど、レコーディング中は取り 次げないんだよ…」
 受付のおじさんはあれこれ考えあぐねた挙句、事務室に電話を入れた。少し やりとりをしてから切る。
「名指しはできないが、誰か手の空いた人に来てもらうから、少し待ってても らいますよ」
「ちっ、規則だの手続きだのまだるっこしい」
「きっと大丈夫よ。身内だってわかってくれればね」
 マスコミからまんまと逃れてきたばかりなのだ。またここで追い出されては さっきの二の舞になりかねない。
 2人は受付のカウンター前でしばらく待つことになった。と、そこへ人影が 近づいて来る。さっそく誰か関係者が着てくれたかと思ったが、それにしては 早すぎる。
「どうもー、毎度ありーしたぁ」
「あ、カブト軒さん、お世話さまです」
 受付のおじさんは、岡持ちを下げた白い調理服姿の男に軽く頭を下げた。出 前も済んでそそくさと出て行こうとするその姿に、しかしみのりだけが反応し た。
「ちょっと待って!」
 『出前のおじさん』は聞こえないふりをして通り過ぎようとする。白い帽子 をすっぽりかぶり、度の強そうなメガネをかけているおじさんは、みのりたち の前まで来て、何かうつむき加減になったようだった。
「剛兄ね! 変装なんかして何やってるのよ」
「はぅ、うわわっ…」
 袖を引っ張られて、おじさんは妙な声を上げた。日向も受付の人も驚いて凝 視している中、みのりは手を伸ばしていきなり帽子を取ってしまった。長めの 髪がばさりと襟元に落ちる。
「ほーら、やっぱり」
「なんだよぉ、おまえこそなんでここに来てるんだ? 健に呼ばれたのか?」
 よりによってこんなタイミングで妹と会うことになるとは剛も考えなかった だろう。メガネも取り上げられて、ついに観念する。
「違うわ、こっちから呼び戻しに来たのよ。ほんとに剛兄といい健兄といい、 迷惑ったらありゃしない」
「いや、これにはいろいろと事情がありまして…」
 後退りしながら、剛は今度は日向に目を移した。
「や、やあ、日向くん、直々に?」
「――サッカーを引退なんて言われて、黙ってられるか」
 こちらも容赦のないのは同様であった。
「ああ、それなら心配ないよ、あれはほんと、ただのガセってゆーか…」
「なら、なんであいつはいつまでもこんな所にいるんだ。合宿にも来ねえ で!」
「それは――なんでだろうね」
 日向はじろりと剛を睨み、今にも中に飛び込んで行きそうになった。剛では らちが明かないと悟ったのだろう。
 しかし、それを止めるかのようなタイミングで、また向こうから誰かが走っ て来た。ものすごい勢いである。
「剛! やっぱりおまえか!」
 それは遠野だった。
「何やってんだよおまえはいつもほんとにいったいもうまったく――」
「と、とーの?」
 切れ目なく口もはさめない勢いの抗議に、剛はたじたじとなった。
「やっぱりって…」
「健くんが、おまえが来てるって言うから飛んで来たんだ。そしたらこんなお まえ実際よりによってまあ…」
「ご、ごめんって!」
 必死になってなだめる剛であった。
「健のやつ、なんで俺がいるのがわかったんだろう。顔も合わせてないのに変 装を見破るなんて」
「――若島津は、じゃここにいるんだな!」
「あっ、日向くん!?」
 その名前を耳にしてはもう限界とばかりに一直線に走って行ってしまった日 向を、剛は呆然と見送る。それから、ゆっくりとみのりを振り返った。
「みのり、よく無事にここまで連れて来られたもんだな。あの暴走っぷりで」
「あら、日向さんは兄さんよりよっぽど良識派よ。まあ、無事と言い切るには いろいろあったけどね。でも、そもそも誰のせいでこうなったか、わかってる の!」
「はっ、はい」
 これはしづ姉より怖いかも、と剛は首をすくめながらこっそりと考えたのだ った。













「ニセモノはともかく、本物はどうなったんだ…」
 遠野に証拠品のカセットテープを渡しておいて、若島津はまた中二階に戻っ て来た。
 たちわかれ、いなばのやまの、みねにおふる――
 口の中で唱えては気配を探ってみる。さっき、少女の姿を映した階段横の鏡 も、今度はごく当たり前の鏡でしかなかった。気配さえない。
 ――まつとしきかば、いまかへりこむ
 廊下の奥へと、ゆっくり進んでいく。
「鏡だ。鏡の中にきっといる…」
 唱えていくうちに、次第に何かが自分を導いている感覚が強くなってきた。
 廊下の一番奥のリハーサルスタジオに、そうして若島津は着いた。ドアに手 をかけ、そして静かに開く。
 照明は消えていたが、若島津にはわかった。正面の壁いっぱいに大きな鏡が はめ込んであるのだ。そして、その中に白くぼんやりと浮かび上がっているも のがある。
「誰だ、君はいったい誰なんだ」
――待ってた。ずっと。
 部屋に足を踏み入れた若島津の周囲を、その白い光が引き込むように包む。 ここに来てから何度も見た、同じ光だった。
「おや、確かこっちにいたと思ったけどな」
 廊下でつぶやいているのはスタッフの一人、さっきのエンジニアだった。
「いや、ここ歩いて行ったのが見えたぜ、さっき」
 別のスタッフとそんなふうに話しながら、リハーサルスタジオの中にも顔を 突っ込んでいる。
「いないな。電気も消してあるし」
「また上に戻ったんじゃないのかなあ」
「そうだな」
 声は遠ざかり、スタジオのドアが静かに閉じられた。








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