ハニーサックル
〜ロシアン・シャーベット・シリーズ〜
第1回・第2回第3回第4回第5回最終回
オマケ: 11 号室・1号室・サブグラウンド
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 合宿も無事に終えていよいよ大会開催地に乗り込んできた日本ユース代表は、現地合流 組を加えてついに全員が顔を揃えた。(合宿中にリタイアした監督を除く)
「ね、三杉くん見なかった?」
「さ、さぁ…」
 しかし、大会に向けて高まっていく闘志とはまったく別の次元で、避けがたい緊張感が チーム内外にもたらされようとしていた。
「ねえ、三杉くんは?」
「――いや、知らねえな」
「あっ、俺知らないっすけど…」
 宿泊ホテルのフロアのあちこちで静かな動揺が灯っていく。ぱたぱたと軽い足音を響か せてそれを結んでいくのは中盤のキープレーヤー岬だった。
 市街からは離れた郊外に位置するこのホテルは、大会スタジアムにはその分だけ近く、 なおかつ広大な運動公園の敷地とも隣接していた。緑に囲まれた閑静な環境である。
 日本チームのみならず他の参加国もそれぞれ別のフロアに分かれて同宿しており、エレ ベーターや階下のレストランで選手同士が顔を合わせることも少なくはないようだ。
 しかしホテル内はあくまで関係者以外の立ち入りを制限していて取材陣など外部の目は 届かない。それがある種の治外法権の状況を作っていたのだった。
「んもう、どこ行っちゃったんだろう」
 順にメンバーたちの部屋を訪ねて回って廊下の突き当たりの部屋までやってきた岬は不 満そうに顔をしかめた。その部屋の主である若林はドアを半分開いて応対しながらニヤニ ヤする。
「まあ、なんだな。三杉がいればいたでイライラするくせに、いないとこうやってイライ ラするんだな、おまえは」
「イライラなんてしてないよ」
 じろりと横目で若林を振り返っておいて、岬ははーっと一つ大きな息をついた。
「用があるから捜してるんだ。僕の目の届かない所で何してるんだかわかったもんじゃな いからね」
「おまえもご苦労さんだなあ、岬」
 久しぶりの代表合流ということでこの2人による実害をあまり体験していない若林であ るが、それよりも第三者として眺めて楽しもうという魂胆が先に存在している、そういう 鷹揚で無責任な口調であった。
「あの忙しいヤツを独占するのは難しいだろうなぁ。選手にコーチ、トレーナーにマネー ジャーまで兼ねてるんじゃな」
 そして岬の恋人。
 他のどの肩書きよりもこれが大変な役目だろうと若林は思ったが、それは口に出さなか った。さすがに岬との付き合いも長いだけに。
「独占なんて!」
 思った通り岬は不機嫌をあらわにした。
「誰がしたいもんか! できるもんなら永久に僕の前に現われないでいてほしいくらいな んだから」
「ほう」
 若林の目が面白そうなものを見たというふうに光った。
「翼からある程度は話を聞いていたが、これほどとはな。ま、頑張れよ」
「無責任な励まし方しないでよ、もう」
 閉まるドアに向かってさらに文句を言いたそうな顔をした岬だったが、その時背後から 人の来る気配に気がついて振り返る。見れば隣の部屋の前で森崎が足を止めたところだっ た。  
「やあ、岬」
 カードキーを取り出しながらにこにこする。髪が濡れているところを見ると、下のジム に行っていたらしい。
「三杉は見つかった?」
「まだ」
 岬が三杉を探索中だという話はチーム内に筒抜けのようだった。岬はそののどかな笑顔 に少しだけ和みそうになるが、不機嫌は簡単には直らない。
「三杉は見なかったけど、さっきロビーで翼に会ったよ。岬に来てほしいって言ってた」 「翼くんが?」
「そう。…お〜い、若島津、今ならジムすいてたよ」
 軽く手を振ってから森崎は自室に入って行った。閉まったドアの向こうで会話が微かに 聞こえる。さっきノックした時には応答がなかったのに、どうやら若島津は居留守を決め 込んでいたらしい。賢明なことに。
「どうしてこれだけいて誰も三杉くんを見てないんだろう…」
 口の中でぶつぶつ言いながら、それでもエレベーターに向かう。ちなみに森崎と若島津 の部屋の隣は彼と三杉の部屋だった。今回も部屋割りはポジションを考慮しながらアイウ エオ順になっている。決して三杉が職権乱用をした結果ではない。もちろんもしそうだっ たところで誰も異議を唱える者はいなかっただろうが。
「忙しいだって? 自分であえてあれこれ引き受けちゃってるだけじゃないか。自業自得 だよ」
 若林はああ皮肉っていたが、三杉は別になにがしかの役職を持っているわけではない。 最小限の人員でスタッフチームを組む上で外部の専門家をわざわざ呼ぶよりもチーム内に いて事情に通じている彼が便利屋として重宝されているということなのだ。
 しかも今は監督がいない。棚橋ヘッドコーチが監督代行を務めているが、手が足りない のは事実で、どうしても三杉に割り振られるものが多くなるというわけである。
「岬くん!」
 エレベーターを降りた途端、向こうで手を振っている翼が目に飛び込んできた。岬の表 情がやっと緩む。
「こっちこっち」
 レセプションホールの一角にあるラウンジのソファーに座って翼は新聞を広げていた。 ここに備え付けの新聞なのだろう。どう見ても現地語の一般紙だ。岬は思わず翼の顔をま じまじと見つめてしまった。
「読めるの、これ、翼くん?」
「まさか」
 翼は元気よく首を振った。目が笑っている。
「これはカムフラージュだよ」
「えっ…?」
 新聞をばさっと顔の前に広げてみせて、そして翼はその陰でくすくすと笑い出した。
「尾行だよ、尾行。俺、三杉くんを見張ってるんだ」
「三杉くんを?」
 それを聞いて岬ははっとあたりを見回した。
「いるの、ここに?」
「今日はまだ。でも昨日は練習のあと2回外出したよ」
 翼は真顔に戻って手の新聞を畳み直した。目で促されて岬もソファーに掛ける。
「君も気がついてるだろ? 三杉くんがずっと忙しそうにしてるの。俺たちと同じだけの 練習もした上に、だよ? 今みたいな自由時間でもホテルの中であっち行ったりこっちに 走ったり。スタジアムや練習グラウンドや大会事務局やコーチたちのところまでね。―― 俺には全部追っかけ切れないくらいだよ」
 まあそれは翼が自主的にやっていることなので追いかけ切れなくても誰も文句は言えな いのだが。
「翼くん…」
 不審そうな顔をした岬に、翼はうなづいてみせた。
「どれも必要な用事なんだろうけど、それでもさ、三杉くんはわざと忙しくしてるって思 うんだよね、俺」
「わざと…」
 心のどこかで予測していたかもしれないその指摘に、岬は口をつぐむ。そんな様子を見 て翼はちょっと首を傾けて笑顔になった。
「そう。君のせいだと、俺、思うよ」
「翼くん!」
 ずばりと言われて岬は目を見開いた。
「じゃあ、やっぱり三杉くんは…」
「うん、君を避けるためにむやみに働いてるんだ」
「そんなこと――」
 否定したかったができなかった。岬は目をそらす。心当たりは確かにあったのだ。さり げないすれ違い。避けていることを悟らせない程度に避ける。まさに三杉らしいやり方か もしれなかった。
「でも2人でいる時はちゃんと普通に見えるんだよね」
 翼の言う通りだった。合宿の時と比べても三杉の態度は特に変わらない。岬に対して も、他の誰に対しても。練習時と就寝時は当然一緒だが、それ以外の自由時間の間、三杉 は完全と言っていいくらいに姿を消しているのだった。
「夜も、普通だろ?」
「翼くん…」
 さすがに翼との間で赤くなったりはしないが、何がどう普通かなんて具体的に説明する のはちょっと難しいだろう。
「あ、あの人だ」
「えっ?」
 そんな会話をしていると翼がいきなり立ち上がった。岬もびっくりして振り返る。
 しかしそれは三杉ではなかった。翼はロビーを横切ってきたそのアラブ風の衣装の男性 に駆け寄って行くと何か親しげに言葉を交わしている。
「だめだ、また尾行まかれちゃったよ。さっき三杉くんが打ち合わせで会う予定だった人 なんだ。上の事務局で。三杉くんはもう先に抜けたんだって」
「そう…」
 どう考えても翼の尾行は三杉に筒抜けだろう。そう思った岬だが、三杉に関してはもし 自分でも同じことになる。それはわかっていた。
「えーと、こっちかなぁ」
 ラウンジを離れて翼が向かったのはホールの先のバルコニーだった。翼はまぶしそうに 手をかざして広い敷地内を見渡している。
「なんだか僕、マジで腹が立ってきた…」
 作為に踊らされるのは誰だって好きなはずはない。相手が三杉ならなおさら、というの が岬の偽らざる感情だ。
 でも翼はなんだか嬉しそうにそんな岬を振り返る。
「岬くん、どうしても三杉くんが嫌い? そんなに?」
「どうしてもだよ」
 その答えを待たず、いきなり翼は両手で岬の手をぎゅっと握った。
「そうかぁ。安心したよ、岬くん!」
「えーと」
 翼のそのキラキラしたまなざしを受けながら岬は当惑した。
「それってつまり、三杉くんは君にとって特別な存在ってことなんだよ」
「そ、そう?」
 でもそれは決していい意味での特別ではない。岬はそう反論しようとした。しかし翼は たたみかける。
「じゃあ、俺のことは? 好き? 嫌い?」
「好きに決まってるよ!」
 岬は真剣に即答した。まさか、疑われるようなことだろうか。
「翼くんのほうがよっぽど特別なんだから、僕には」
「ふふふ、ありがとう」
 翼は岬の頭ごと抱き寄せて楽しげに笑い声を上げた。
「俺、岬くんにだったら何されても構わないよ!」
「えっ!?」
 明るい太陽の下、元気いっぱいの大きな声で、なんということを宣言するのか。
 岬は驚くよりも先に周囲を思わず目だけで見回してしまった。
 バルコニーが直結しているロビーのホールには何人かの人影が行き来している。中には こちらにチラチラと視線を寄越している者もいるような。さらには敷地の中庭に面してい るここだから、外にもしっかり響いたと思う。
 いつもの岬にはありえないくらい胸がバクバクしてしまって、文字通り絶句、であっ た。
「――つ、翼くん、それ…どういう、意味…?」
「俺も岬くんが大好きって意味だけど?」
 いや、そうかもしれない。しかし、それ以前に問題発言にはならないのだろうか。
「何されてもってのはね」
 翼は得意気に続けた。
「岬くんは絶対に俺にとって悪いことなんてしないからだよ。ああ、俺にとっても他の人 たちにとっても」
「あ…ああ、そういうこと」
 岬は心ひそかに胸をなでおろした。
「岬くんがほんとにほんとの悪いことができるのは三杉くんだけなんだよね?」
「えっ?」
 安心できたと思ったのは束の間だった。岬はまたぎくりとする。
「そういう意味で、特別。違う?」
「いや、僕は別に…」
「俺、嬉しいんだ」
 反論しようとする岬に、翼はにこにこと笑いかけた。
「岬くんが、そんな特別な相手を見つけたってことが。俺にとっていい人でいる岬くんで も、岬くんはそれじゃ幸せにはなってないって、俺ばかり嬉しいだけじゃいけないってい つも思ってたんだ」
「翼くん! そんなことはないよ!」
 岬は思わず必死になって否定したが、翼が言ったこと、自分が考えていることが頭の中 でぐるぐるし始めた。
「僕は誰かのためにガマンしてることなんてないし、それに、それに十分幸せだし…」
「十分幸せだったとしても、でもそれが特別に幸せだと、もっといいだろ?」
「……」
 岬は詰め寄ろうとした翼に向かって目を見開いた。
「どういうこと…」
「言ってもいいの?」
 翼はちょっといたずらっぽく微笑んだ。まだ半分呆然としている岬に向かって姿勢を正 す。
「岬くん、それってズバリ、恋だよ」
 ただにこにこと岬を見つめる。
「自分でいくら否定しても、嫌いだって言い聞かせても、そんな自分じゃどうしようもな いくらい引っ張られて、どこまでもつきまとってくる気持ちのこと。自分じゃどうしても コントロールできなくてだから腹も立ったりして、なのにやっぱりそこから消えない気持 ちのこと。――そんな『特別』だよ」
「つつつ、翼くん」
 岬は愕然とした。よりによって翼に恋愛を語らせてしまった自分に対して。
「俺が言っても説得力ないのはわかってるけどね。今回こんなことになっちゃったから、 さすがに言わないとねえ」
「こんなこと…」
 岬の口が弱々しく動いた。翼はその肩をぽんと叩く。
「俺が三杉くんを追いかけてたのは、それを話したかったんだけど。でも絶対つかまって くれない三杉くんはきっと俺にじゃなく君に話してほしいんだと思う、岬くん」
「……」
 黙りこんでしまった岬に嬉しそうにうなづいた翼は、その時ふと何かを見つけたようだ った。はっと顔を上げたかと思うと、バルコニーの手すりから身を乗り出す。
「あれって日向くんだ。…一人でボール持ってどこ行くんだろ。あ、そうか、サブのグラ ウンドが今使えるとか!」
 一人でつぶやいて翼は顔を輝かせた。くるりと岬に向き直る。
「岬くん、悪いけど、俺もう尾行は中止。君にバトンタッチするからよろしくね。俺もボ ール蹴ってくるから」
「待って、翼くん」
 さっそく駆け出そうとした翼は呼び止められて顔だけ振り向けた。
「だから、直接君が追いかけなくちゃ。ねっ?」
「あ…」
 もう声さえ掛ける間もなく、翼はバルコニー横の階段を飛び降りるように走っていく。 獲物を目にした猟犬並みだった。
「ほんとに翼くんには負けるよ」
 岬はため息混じりに翼の姿が見えなくなるのを見送って、少々気抜けしたままホールに 戻った。
「尾行をバトンタッチっても――」
 向きを変えたその場で、ぱたっと足が止まる。
「やあ」
「み、三杉くん…」
 吹き抜けの階段の前にネクタイ姿で立っていたのは、まさに三杉その人だった。岬を見 ても別に驚いた様子もなく軽い挨拶をする。
「今の、翼くんだろ、外に駆けてったの。午後からずっとホテルの中にいたから、そろそ ろ禁断症状かな」
「……」
 岬は疑わしそうに相手を見上げた。
「まさか、小次郎を練習に行かせたの、君なわけ?」
「僕はそんなことはしてないさ。サブグラウンドが使えるって教えたことは教えたけど ね」
 三杉はあくまであっさりとそう答えると、階段の上を示した。
「岬くん、一緒に来てくれないかな」
「何…?」
 口調のわりに強引なその誘いに岬はちょっと眉を寄せたが、とりあえずついていく。2 階の廊下を進むと、片側の窓に沿って緑の色が見えた。ガラス越しのすぐ外にである。
「屋上庭園だよ」
 張り出し部分の屋上を利用して、そこには見事な庭園が造られていた。剪定された常緑 樹に縁取られた花壇が並び、噴水やそれに導かれた水路まである。ホテルの正面からはち ょうど逆に位置していて、各国チームが宿泊しているメインタワーからも遠い位置に当た るここは、岬にとっては初めて知る場所だった。
「よくこんな所知ってたね。僕たちとは別行動で、ずいぶんホテル内に詳しくなったと か?」
「さあ」
 あいまいな相槌を打っただけでろくに話もしないままただ先へ立って歩いていく三杉 に、岬も次第に不審感をつのらせていった。
「なんかどんどんひと気のない方に向かってない? こんな、誰も来ないようなとこに引 っ張ってって、まさか僕を密かに消そうっていうんじゃないよね――」
 などと不穏な想像をしながら岬が険悪な空気を漂わせていることに気づいているのかい ないのか、三杉はやがて足を止めた。
「こっちだよ」
 会議場スペースのような一角を過ぎて、その先に防火扉があった。三杉は振り返ってそ う岬に声を掛けてからそれを押し開く。そこには薄暗い階段室があって、階下に、そして 階上にも非常階段が続いていた。
「ほら、この窓だよ」
 三杉が合図したので、その階段の踊り場部分の窓に岬は近づいた。先に窓に寄った三杉 が自分の隣にスペースを作って岬を招く。岬はいぶかしみつつ窓に顔を寄せた。
「わあ、これって…」
「きれいだろう? たまたま通りすがりに見つけたんだ」
 言いながら三杉は手を伸ばしてその滑り出し窓を外に向けて押し開けた。窓枠にからま るほどその外まで迫っていた蔓性の植物には満開の花がいっぱいについていた。ほんのり ピンクをにじませた繊細な形の花が甘い香りを漂わせている。
「ハニーサックル?」
「うん」
 岬のつぶやきに三杉は嬉しそうにうなづいた。
 ちょうど屋上庭園の端で境目のラティスに這わせたハニーサックルがそのままこちら側 の建物の壁にまで伸びてこの一角を埋めてしまったらしく、窓の外の風景はほぼこの花で 埋めつくされている。
「名前の通りの香りだろう? こんなみごとな群生は初めて見たから、一人で見るのは惜 しくって」
「……」
 岬はちらりと一瞬だけ三杉に目をやったが、すぐにまた窓の外に視線を戻した。黙った まま見つめ続ける。
「誰にも知られないような場所で、だからこそこんなに思い切りきれいに咲くのかな」
 岬は顔を動かさないままぽつりとつぶやいた。
「どうかな。花は自分の意思で咲く場所を選ぶわけじゃないし――」
 三杉の言葉をさえぎったのは岬の手だった。いきなり隣からその頭を抱き寄せる。
「じゃあ、君は自分の意思でこうやって逃げ隠れしてたってわけ」
「…岬くん」
 少々乱暴なその抱擁に三杉はくすぐったそうな顔を向けた。すぐ目の前の岬の表情はま だ不機嫌なままだ。
「どう考えてもここが『たまたま通りすがり』になるとは思えないけど?」
「…ごめん」
 いきなり謝られて、岬はぷいと目をそらした。
「誰に謝ってるの? 翼くんに?」
「いや」
 三杉は微かに笑った。
「翼くんにはありがとう、だよ。でも君には謝らないと。ごめん」
「謝ってもらったってね!」
 岬はちょっとむきになった。しかし、言葉はそれ以上続かない。岬は肩を落としてぎゅ っと口を結んだ。
「らしくもなく不安になったんだ。君に触れられるたびに、触れられるほどに、どんどん 不安になった」
「……」
 はっと岬が顔を上げた。目を合わせた三杉は苦笑を返す。
「自分の気持ちに正直になるのが怖くて――そこから逃げたかった。逃げ切れるわけ、な いのにね」
 三杉は半歩下がった。肩に置かれていた岬の手がその動きで離れる。
「岬くん、僕たちは――」
「ダメだよ!」
 離れて行こうとするその体を、岬は思い切り引き寄せた。
「それ以上、言っちゃダメ」
 ゆっくりと近づいた唇に、三杉は抵抗しなかった。一瞬上がった熱に応じるように、キ スは深くなる。
「――いい? それは絶対言っちゃダメなんだ」
 吐息が二つに分かれて岬は目を開く。
「僕はそんな言葉は信じないしあてにもしない。君も、絶対に正直にならないでいいんだ からね」
「僕も…君も?」
 三杉は微笑んだ。岬はそれが意味するものに気づいてさっと顔を赤くした。
「僕はいいの! 君のことを言ってるんだから」
「なんだか不公平な気がするけど」
「そんなことないってば」
 2人は階段室から屋上庭園に出た。誰もいない庭園は時間が止まったように静まり返っ ている。
 2人は庭園側から改めてハニーサックルの群生を見上げた。風に軽く揺れる花たちが放 つ甘い香りはさらに強まっているようだ。
「甘さに、酔いそう」
「うん、待ったかいがあったよ」
 数メートルの高さにまで蔓を伸ばして広がるハニーサックルを楽しげに眺めながら三杉 は一人でうなづく。
「待った?」
「そう。見つけた時はまだ満開にはなっていなかったからね。花を待ちながら、決心でき るのを待ってたのかな」
「まったく」
 岬はちらりと横目でにらんだ。
「その間、僕をこれだけじらしてたわけだ」
「じらしてたかい? 毎晩ちゃんと一緒にいたのに」
「気づかないわけないじゃない」
 岬はそんな言葉ではだまされないと主張する代わりに、三杉の髪をつまんで引っ張って みせた。
「うん。今やっと反省した」
「今頃?」
「ふふ、それにいい加減疲れたし」
「当たり前だろ。何人分働いてたと思ってるの」
「そうだね。僕らしくもなく」
「無茶なとこは君らしいけどね」
 噴水の前まで来て、二人はそのへりに腰を下ろした。
「それにさすがに逃げ切れなかったよ」
「翼くんに追いかけられちゃね」
 あのバレバレの尾行がいちばん身にしみた、と明かして三杉は笑った。
「らしくなかったのは僕もだけどね。つい必死になったりして」
 岬は水盤の水をすくって宙に散らした。それを2人の視線が追う。
 光の破片が混ぜ込まれたような青い空。
 数日後にはこの空の下で大会が始まる。
「でも僕は嬉しかったよ」
 三杉は顔を覗きこむようにしてささやいた。岬はぱっと振り向くと内緒話をするように 同じくささやき返す。
「バカ…!」
「それに関しちゃ僕たちいい勝負じゃないかと思うな」
 陽射しはやがて傾いて、庭園はゆっくりと陰を濃くしていくことだろう。
 行方不明者はこうして1人から2人に増えてしまった。
 しかしそれをあえて捜そうとする野暮な者はいない。
 ――なにしろ、怖かったしね。



【 END 】








 あとがき
みーみー話の「ロシアン・シャーベット」シリー
ズの続編ということになると思います。ずっと合
宿所だったので大会に来てもらったけどあまり変
わりなかったりして。ヤレヤレ。あああああああ
オフ本で出した時とはかなり書き換えてしまいま
した。ただなんとなく。決着は同じですけどね。
ちょっとオマケとして寄り道リンクを3ヶ所入れ
てみましたがいかがだったでしょうか?ああああ