MISSING
- KEEPERS ON THE RUN外伝 -
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「わくわくするね。誰が来るんだい?」
 まだ無人のそのテーブルを観葉植物の仕切り越しに覗きながらジノが囁いた。
「夢の通りなら、代理人と、某クラブの重役だ。ここが密談の場所になるはずだ」
「――あっ、来たよ」
 人影が隣のテーブルに近づいた。3人は一斉に注意を向ける。一人は髪の黒い小柄な男、 もう一人はスーツ姿の恰幅のいい男だった。
「見覚えがあるね、あの黒髪のほう」
「やっぱりそうか」
 ジノの言葉を聞いて、若島津の目が鋭くなった。二人の男たちはほんの数十分で話を終 え、別々に店を出て行く。それを見届けてからジノが自信たっぷりに証言した。
「うちの専属スカウトチームの一人で、代理人業もやっている人物だよ。名前はカルロ・フ ァットーリ」
「間違いないな? 日向さんの内定の手続きで交渉代理人になっていたのがその名前だが、 どんな奴かは俺は顔は知らん。あくまで書類の名前を見ただけだ」
 3人はしばらく沈黙した。めいめいにさっきの二人の会話を吟味しているらしい。最初に 口を開いたのはジノだ。
「確認させてくれ、ヒューガはうちのクラブを希望しているんだね。そして内定も届いてい る、と」
「ああ、先月のうちにな。正式契約は年末頃に…という点でクラブ側と合意した、と聞いて いる」
 いつかは海外でプレーしたいと考えていた日向であるから、セリエAの強豪チームからの オファーには素直に喜んでいたのだ。
「しかし今の話ではそうはいかんようだな」
 ヘフナーは憤慨したように首を振った。
「あの代理人、クラブ側には勝手に脚色した嘘話を吹き込んでいる可能性があるぞ。ヒュー ガとは契約すると同時に移籍リストに載せて買い手を捜すなんて話をしていたくらいだ。見 せ札にされる危険性大ありだ」
 目で問われて若島津は眉を寄せた。彼が日本で見た予知夢と同じ内容だったのか…。
「まったく。最悪な正夢だ」
 夢だけで終わっていたらどれだけよかったか。若島津はそれだけ吐き捨てて暗く黙り込ん だ。目つきだけがどんどん殺気を帯びていく。
「わざわざ日本から飛んできたのはこれを阻止したいからだったんだな。ワカシマヅ、どう する気だ」
「どうって、決まってる」
 若島津はその険しい目つきをこちらに向けた。
「ぶっつぶす」
「……なるほど」
 表現はともあれ、決意が固いことだけはよくわかった。ヘフナーは一息ついてから続け る。
「密談相手側のクラブは形だけヒューガを引き受ける役だな。受けておいて自らマスコミに リークすれば値が上がる。それを山分けというやり口か」
「なら僕が適役だね」
 いきなり明るい提案があった。
「じゃさっそく接触してみよう」
「おい、気楽に言うな。どういうつもりだ」
 ヘフナーが止めるより先にジノはさっさと店内の電話を借りて何やら問い合わせをしてい る。メモをとってからその連絡先に改めて掛けようとしているようだ。
「――ええ、なるべく早い機会に相談したいですね」
 掛けている相手はイタリア人のようだ。
「今、休暇でドイツにいるので帰国したらすぐにでも。――え、あなたも今ドイツに? そ れは奇遇だなあ」
 ついさっきまで隣にいたくせに、ぬけぬけと驚いてみせている。そう、話している相手は さっきのファットーリ氏だったのである。
「何をカマかけた」
 電話を終えて戻って来たジノをヘフナーがさっそく問い詰める。
「移籍を希望してるって言ったんだ。案の定の反応だったよ」
「なんだと?」
「ヒューガ一人だけじゃないと思ったのさ。そのニセ移籍リストが取引材料になるなら、数 が多いほど動く金も多くなるからね。目的をあぶりだすにはいい手だろう?」
「なんて奴だ」
 呆れている相手はもちろんジノだ。
「いいじゃないか。もともとが架空取引なんだ。移籍話をあっちからこっちへ動かして、そ の間に利潤が生まれる。つまり選手は転がされる小道具なんだ。向こうが利用するならこち らもそれに乗るだけだよ」
「そう、こちらも利用して相手をぶっつぶす。これだな」
 大胆かつ物騒な意見が、こういう一見穏やかそうな風貌の二人から飛び出している図はヘ フナーでなくても頭が痛くなる。
「もちろんヒューガのことで裏交渉するためにケルンに来てたんだろうけど、僕がここにい ると知った以上、一緒にすませておこうと考えるはずだろ。まんまと乗ってきたよ。明日に でもさっそく会いたいって」
 ヘフナーはそれでも疑わしそうに首を振る。
「大丈夫か、そんなことをして」
「――ちょっと待て。明日だな」
 若島津はそう確認だけすると、息を整え目を閉じる。
 二人が見守る中、身動き一つせずにいた若島津の口がゆっくりと動いた。低いつぶやき と、大きく吐いた息。
「………」
「ワカシマヅ?」
 そうやって目を開いた若島津に、ジノがこわごわと呼び掛けた。
「うん?」
 一言そう答えて、それからやっと我に返った様子の若島津だった。
「まさか夢を…」
 ヘフナーの問いに、うなづく。
「明日の夜、この場所であの代理人と会う。――それから別の所に移動してもう一人と落ち 合うようだ」
「うわぁ、預言者みたいだねえ」
「おまえに起こることだろうが」
 はしゃぐジノに呆れ顔のヘフナーは、しかし、続く若島津の言葉に表情を変えた。
「行き先はライブハウスだと言っていた。確か『チャールダーシュ』?」
「本当か」
 旧市街にある古いライブハウス「チャールダーシュ」。それはヘフナーが生まれた場所、 そして母親を亡くした場所でもある。
「でも、そんな偶然が…」
 ジノも隣で目を丸くしている。彼もヘフナーの秘密を知る一人であった。
「もう行くことはないと思っていたが…」
 その店には、もう一人忘れられない別れをした相手がいたのだ。









「じゃあ、下見がてら行ってみるか」
 立ち上がる二人に向かってジノはちょっとすまなそうな顔をする。
「僕はひとまずここで別れていいかな。ギュンターのことが気になるから、家のほうに寄っ ておきたいんだ」
「ヘフナー、一緒に行かなくてよかったのか?」
 ジノと別れた後、日没後もなかなか暗くならない旧市街を歩きながら若島津が口を開く。 「人探しならおまえのほうが専門だろう」
 レーダー能力を持つ彼は、人がそれぞれに持つ波長のようなものを探知してその居所を見 つけ出すことができる。
 しかしヘフナーは振り返って小さく首を振った。
「無理だな。俺にその気がない」
 緩い上り坂になっている細い路地を進みながらヘフナーは不機嫌そうに目を細める。
「まさか恨んでいるからなんて理由じゃないだろうな」
「いや、恨むとか憎いとか、そんな面倒なことをする気さえないな。俺にとってはいない人 間と同じだ」
 拒絶する必要すら感じない、という言葉は若島津を当惑させた。歳が近いとか顔がそっく りすぎるとかそれも親として一緒に過ごしたことがないからとか、そんな理由づけさえも意 味がないと言うのだから。
「ああ、見えたぞ。あそこだ」
 そんな若島津の思いをよそにヘフナーが指さしたのは、路地の奥にある立て看板だった。 「チャールダーシュ」という店名と一緒に矢印が地下への階段を示している。
 その入り口に立ち止まり、ヘフナーは一瞬だけためらった。
「やれやれ、どういう縁だか。避けようとすれば向こうからこうやって呼ぶんだからな」
 オーナーは元気で店を続けており、2年ぶりに訪れたヘフナーを暖かく歓迎してくれた。  ここはギュンター・ヘフナーにとってもゆかりの深い場所である。ミュージシャンとして の第一歩を踏み出した地点として。無名のギター少年からプロとなってどんどん成功してい く姿をオーナーはずっとここから見守っていたことになる。
「ギュンターかい? いや、最近は会ってないね。ライブの予定も入ってないしな」
 飲み物を勧めながらオーナーは苦笑した。
「あの人もさ、ビッグになってもまだこんな所に顔を出してくれるんだからありがたい話 さ。古くからのファンもそれを心得てて、ここでシークレットライブがあるのをちゃんと嗅 ぎつけてやって来るからね」
「それはまた物好きもいるもんだ」
 ヘフナーのこの感想はオーナーには聞こえていない。




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