MISSING
- KEEPERS ON THE RUN外伝 -
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 オーナーが奥に行ってしまうと若島津は席を立った。ライブハウスの地下ホールをぐるっ と眺める。
 まだ客はなく生演奏はもちろんBGMさえ流れていないので店内は準備中のスタッフたち の低い人声くらいしかない。それでも若島津は何かを聞き取ろうと耳を澄ませている様子だ った。
「何を探してるんだ」
 ゆっくりと壁のほうに歩き始めたところでヘフナーも歩み寄って横に並んだ。
「俺が最初の夢を再現しようとしてた時におまえの気配が妙にちらついたと言っただろう。 あの夢、俺のところによこしたのがおまえなんじゃないかと感じたんだ」
「俺が? まさか」
「ああ、おまえが意図的にやったんじゃないことは会いに来てわかった。しかし無意識にや ったって可能性もある」
 視線を油断なく周囲に投げながら若島津は答えた。黒ずんだ床板、落書きの重なる壁、木 のテーブル――顔を近づけ、手で触れ、そして考え込む。
「この店が交渉の場に選ばれたのが偶然だとは俺は思えない。何か、おまえと繋がるものが あるはずなんだ」
 アンティークな写真の入ったいくつかの額に見入った後、ついに古いアップライトピアノ に目を止める。
「これは…?」
 ヘフナーの表情も観察していたのか、わずかに反応を見せたのに気がついた若島津だっ た。隠しても無駄だと思ったらしく、ヘフナーは素直に近づいて来た。
「俺の母親の形見だ。この店で昔ピアノ弾きをやってた。歌もな」
「そうか…」
 ヘフナーのあえて抑えた感情には気づかないふりをしておいて、若島津は改めてピアノを 眺めた。
「明日の夜のヘルナンデスを『見た』限りでは特に妙なものは感じなかったんだが、このピ アノは――何か引っ掛かるものがあるな」
「えっ、怪談?」
 背後からいきなり声がかかった。二人が振り返ると、ケーブルを手にどっさりと持った若 い男が立っていた。今夜の演奏の準備中のスタッフらしい。
「この店、時々その手の話聞くよ。何か出るっての。ま、この古さだからね」
 完全に勘違いしたまま彼の話は続いた。しかし顔はあくまで真剣で、本気のようだ。
「俺もさ、見たことはないんだけど音を聞いたことがあるんだ。そのピアノも鍵がかかって るのに音が聞こえたり、あと、壁の向こうでノックの音がしたり…」
「おい、やめろよ。ただの気のせいだろ、そんなの」
 少し離れてテーブルを動かしていたキッチンスタッフがこちらを睨んでいた。
「オーナーに叱られるぞ、客が怖がるって」
「この人たちは客じゃないさ。…だよね?」
 スタッフは改めて二人を振り返って確認する。
「オーナーの知り合いでしょ? あ、それともオーディションに来た歌手?」
「違う!」
 憤慨しているヘフナーは放っておいて若島津が質問した。
「音はともかく、姿を見た人がいるってことは、その『出る』のは誰なんですか」
「うーん、それこそ噂ってか、伝説だからなあ」
 スタッフは首を傾げた。
「女の姿だって話もあるし、あと新しいのでは東洋人らしい若い男ってのも聞いたことがあ る」
「まさかそれって……」
 若島津はふと思い当たった。3年前、早春のドイツへと魂だけでふらふらと来ていた知り 合いがいたではないか。
「短めの黒い髪で、指にタコこさえてて、他人にすぐ同情してしまうお人好しなヤツじゃな かったですか?」
「具体的に言い過ぎだ!」
 これ以上怪談にはまり込んでいてもしかたがないのでこれで引き揚げることになった。二 人でオーナーに挨拶しに行く。
「もしかすると明日も来るかもしれないが」
「おお、大歓迎だ。何だったらピアノも鍵を開けておくよ」
「冗談はやめてくれ」
 地上に出ると、まだようやく薄暗くなりかけたところだった。ヘフナーはもう一度店に下 りる階段を振り返る。
「無意識に呼んだと言われても、俺にはどうしようもないな」
「心当たりくらいないのか」
 何気ない問いだったが、ヘフナーは黙り込んでしまった。迷っているようにも見えた。
「鍵、かな…」
 ようやく口を開いたヘフナーの視線は何もない宙に向けられていた。遠い遠い場所を見つ めているかのように。
「鍵を――さっきのピアノの鍵を親父から預けられて、俺は妙な体験をしたんだ。会うはず のない人間と、会ってしまって…」
 そこまで言って急に我に返ったのか、ヘフナーはさっさと歩き始めた。若島津はむっとし たようにその後を追う。
「おまえ、かなり訳のわからない男だな」
「俺も時々そう思うよ」
 この店に来るとろくなことがない、とヘフナーは腹の中でつぶやいたのだった。












 部屋に戻ってしばらくするとジノから電話があった。
「仕事関係はすべて当たってみたけど、どこにも立ち寄っていない。友人や知り合い、思い つく限り連絡を取ったそうだけど――」
 それはそうだ。縁を切ったと公言している息子にまで問い合わせたくらいだ。
「後はいよいよ警察に頼るしかないってアンジェラは言うんだけどね。本人が書き置きにあ あ書いていることだし、ちょっと待つように言ったんだ。僕も一つ裏ワザを思いついたもん でね」
「…ほう」
 不吉な予感がしてヘフナーは身構える。
「ワカシマヅと君の、例のヤツ同士を合体させれば見つけられないかって思うんだよ」
「何だと?」
 わざと意味ありげにしたいわけではなく、周囲にいる一般人に聞かれるのを用心しての表 現だっただけだろうが。
「だからさ、君のアンテナで探りながら予知の方角を絞ればピンポイントで探し当てられな いかな…ってことさ」
「悪くないかもな」
 若島津の見解は前向きだった。ジノからの電話の間シャワーを浴びていた彼は、出てきて からそのアイディアを聞かされてあっさり賛成したのだ。
「俺はあいつの波長を追いたくないと言ったはずだ」
「ダメもとでいいだろう。何だったら今すぐ始めてもいいが」
「――おい」
 口では意欲的だったが若島津はそこで小さくあくびをしたかと思うと、髪も十分に乾かし 終えないうちにベッドにもぐりこみ始めた。
「そこは俺のベッドだぞ」
「…他にないんだから、ここで眠らせろ」
 若島津の声はもうぼやけ始めている。日本時間ではもう明け方になっているだけに、眠気 に勝てないらしい。
「こら、ワカシマヅ!」
 なんとか阻止しようと手を伸ばして逆に引き寄せられ、ヘフナーはあせる。
「うん…? どうしても今始めるのか?」
「いいから離せ! ベッドの中ではできんだろうが!」
 もう会話は成立さえしない。若島津という男、寝起きは悪いが寝つきは恐ろしくいいのだ った。








「おはよう!」
 朝一番にジノが現われた時、ベッドの中ではヘフナーが一人で沈没していた。
「おやおや? 昨夜はもしかして二人でハードに過ごしちゃったかな?」
 ジノは楽しそうにそれを覗き込む。
 若島津のほうはすっきりとした顔でもう身支度も済ませ、テーブルについていた。
「俺はぐっすり眠れたぞ。逆に早く目が覚めすぎたくらいだ。時差の調整がどうしても最初 の一日はうまくできなくてな」
「――くそぉ、ベッドを占領された上にこんなくだらないことまで言われなきゃならんと は」
「さあさあ、グスタフ、いいから起きて。僕たちはもういつでも準備OKだよ」
 テーブルの上には大きな地図が広げられていた。若島津が空港でもらっておいた観光地図 らしいが、とりあえずドイツ全土が載っているからよしとする。
 ジノは胸ポケットからハンカチにくるんだ物を取り出した。出てきたのはギターピックで ある。G・Hと文字の入ったオリジナルの愛用品ということで自宅からもらってきたのだと 言う。
「使用済みのだから匂いはたっぷりとついているはずだよ。はい、グスタフ」
「俺は警察犬か」
 ドイツ人らしくきちんと朝シャワーを浴びてからヘフナーはテーブルにやってきた。




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